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2001年春、とある東京人は自分を見つめなおす機会がありました。
そしてそんな折、その東京人が友人K.S.、友人T.S.、先輩H.I.と遊び朝帰りした日に、「社会人になって1年が過ぎ、たくさんの仲間で遊んだり、運動したりする機会が少なくなたなぁ。」ということをふと思いました。
そんな風に物思いに耽りながら家に帰ってきたそのとき、目に留まったのが、使わなくなっていたサッカーシューズ。
「サッカーチームでも作るか・・・。」
何気なく頭に浮かんだこの一言が、後の彼の人生を左右することになろうとはこの時点では誰も思わなかったでしょう。
その次の週末、彼は行動に出ました。
「いろんな友人を集めてチームを作ってもいいけど、どうせだったら知らない人とやった方が楽しいし、新鮮かもしれない。」
このような思想のもと、様々なインターネットの掲示板に書き込みを始めたのです。また、その後にこのことを友人たちに打ち明け、賛同を得たり、相談に乗ってもらったりもしていました。
書き込みを始めて1ヶ月で4、5人からの返事がありました。しかし、なかなか踏ん切りがつかず、約3ヶ月が経ったある休日、その東京人は原宿の喫茶店でラモス瑠偉さんに出会ったのです。
彼は聞きました。
「今でもサッカーしてるんですか?」
「もちろんやってるよ。好きだからね。君はやってるのか?」
逆にラモスさんはあのたどたどしい日本語で問い掛けてきました。
「昔はやってたけど、今は機会がなくなってしまって・・・。でも、俺もサッカー好きだからチームを作ろうかなって考えてます。」 彼は正直に話しました。
「それなら早く作った方がいいよ。がんばってね。」
彼がラモスさんと話したのは1分にも満たなかったでしょう。しかし、この会話をきっかけに、話は猛スピードで駆け抜けることとなったのです。
この時点で返事が返ってきていた人数は11人。それに自分と友人たち3人を足して、計15人。そろそろいけるなと思い、話を持ちかけたのです。
「一回、集まりましょう。」
「そして、酒でも飲みながらこれからどうするか考えましょう。」
こんな内容のメールを送り2001年7月末、上野の庄屋にメンバーが集まりました。そのとき集まったのは8人です。その後、4人増えて最終的には12人でチームが発足し、活動を始めました。
とある東京人の話はここまでです。
この後の話はメンバーにでも聞いてください。
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